食べ物を扱う難しさ

スーパーの米、米穀店はこれにやられた。 1996年(だったか)、食糧管理法の改正により、容易に米を販売することが可能になった。 それまで米を売るには認可を必要とし、米穀店はその販売権に守られてビジネスを続けてきた。 この販売権(正式な名前は忘れた。 知事の許可だったはず。)は歴史的な背景から、米の供給を政府がコントロールするという目的でなされており、政府が、生産者から買い取った米を卸業者に売るという徹底した政府管理が行われていた。 供給量が完全にコントロールされた商品を売るのは、リテーラーではない。 この大きな変化は、消費者にとって、そして日本経済にとって大きな前進と言える。 過去数十年間独占的に米を扱い、唯一米販売のノウハウを持っていた米穀店が、たった数年でスーパーの米の棚に負けたのである。 これが必然かどうかは別として、米穀店に自らが唯一扱う商品においての競争力も持ち合わせていないことは明白だ。
米の小売を行っている者は口々に『米は特殊な商品だ』と言う。 確かに、米は年間を通して比較的安定した需要があるにかかわらず、そして市場には常にそれに呼応した量の米が流れているにも関わらず、収穫されるのは年一回。 質にかかわらずブランド志向が非常に強く、ロイヤルカスタマー支持の強い商品も非常に多い。 魚沼のコシヒカリが例の一つだ。 質は高い。 しかし、何にでも向いている米でもなければ、毎年他銘柄に比べて質が勝っているとも言えない。 しかし、魚沼のコシヒカリしか食べない人は多い。 また、コシヒカリは基本的に寿司にも合わなければ酒にも合わない。 しかし『魚沼コシヒカリ使用』を謳った酒や寿司屋は後を絶たない。 第二に、米は流通ルートが固定的で、自分が仕入れたいと思う米をそんな簡単に入荷出来ない。 自分が取引を行っている卸業者が扱っていなければ、他の選択肢は利益を考えると非現実的という場合が多い。 米は食料品であり、在庫管理・品質管理において扱いが難しい。 米屋は、米は難しいとしか言わない。
しかし、それは別に米に限った事ではない。 とあるスーパーの倉庫を見学する機会に恵まれたことがある。 そこは、私の思っていた倉庫の固定観念とはかけはなれた所だった。 食料の鮮度を保ち見栄えを良くする為だけに何重もの工程を通し、徹底した品質管理と販売管理が行われていた。 倉庫というより、食品加工工場のような印象であった。 そう、目に見えないが、スーパーの生鮮食品の扱いの難しさは、米の比ではない。
八百屋にしてもそうだ。 スーパーを非難することは簡単だが、正直八百屋もスーパーの野菜売り場と同質の品質管理が出来ているとはとても言えない。 より安く仕入れ、よりよい品質で売る。 この努力も、スーパーの持っている強力な武器であり、これはかれらが長年の試行錯誤を経て勝ち得たメリットだ。 八百屋に、レタスの鮮度を保つ為に温度と湿度の違う3っつの冷蔵施設を設置しているところがあるだろうか? それが一般の八百屋に可能かどうかにかかわらず、スーパーは実現している。 ただ大きいだけがスーパーの武器ではない。
特筆すべきは、その在庫管理である。 スーパーを安売りと非難することは容易だが、スーパーは大量入荷によるコストダウンだけで安売りを行っているのではない。 大量入荷は在庫管理を難しくし、管理次第では大量入荷のメリットなど簡単に飛んでしまうほど在庫管理費がかかってしまう。 在庫管理費を下げ、ロスの少ない経営を行っているからこそ安売りは可能なのである。 これがリテールマネジメントと呼ばれるものだ。 ウォルマートKマートを凌駕したのは、ウォルマートKマートより広い売り場面積を有していたからではない。 他にも戦略はあったが、そのリテールマネジメントの能力こそ、ウォルマートを世界一のリテイラーにのし上げたのである。
米の特質として、まず販売データ分析が他の小売と比べ物にならないくらい容易である点も挙げられる。 銘柄や産地は違えど、1つの商品しか扱っていないのである。 シャンプーと大根とのバスケットマーケティングを考えないといけない(例えば)スーパーに比べると、米のみを扱う米穀店の販売データ分析の容易さは非常に大きなメリットだ。 当然、販売管理も非常に明快だ。 しかし、それさえもまともに出来ていないのである。 米屋や八百屋に、スーパーにケチをつけることには強い違和感を感じる。
米は、利益率が低い商品だ。 しかも小売であるのに処理工程(精米)が必要になる上、その為の初期経費も莫大だ。 商品は当然買い取りであり、30kgという大口ロットでの取引しか出来ない為、在庫管理にかかるコストも大きい。 しかし、米という商品の持つメリットも多い。 そして何より、米穀店が抱える問題の多くは、企業努力で大幅に改善できる。 その努力もしていないのである。 誰でも売れるようになった今、米はただの商品だ。 扱いの難易度や利益率に関わらず、もはや政府の配給代行人ではない。 米卸の入札制度も変わり、今後もさらに規制緩和が続くだろう。 今こそ、米穀店は使命感を燃やすべき時だ。 米穀業界が潰れれば、日本では名ばかりのブランド米と安いだけの粗悪米しか生き残れない市場となるだろう。 銘柄は育てなくてはならない。 その為には、新規参入した優良銘柄を、より多くの消費者に味わってもらい、より多く供給しなければならない。 私のやろうと思っている販売形態は、まだ成功例も無く、米穀関係者には一応に反対される。 私が小売をする最大の目的は自己の経済的成功だ。 しかし、それだけでもない。 私は、良い米を残して行きたいと思っている。 そしてその為の努力とリスクは承知している。 『米は食べ物だから扱いが難しい』、とその位は誰でも分かっている。 米屋が一番理解出来ていないこと、そして今米穀産業を壊滅に追い込んでいる最大の原因は、米穀店の顧客に対する姿勢とその認識の甘さだ。 客は、分かっている。 米屋の努力が足りないことくらいは。 そして、今ある危機は、規制緩和によって引き起こされたのではない。 客をなめている米屋自身の経営姿勢こそが最大の原因だ。
蛇足ながら、私がお世話になっている所は、その中でも長く企業努力を続け試行錯誤を行ってきた店なので見習いに入ろうと思ったのであり、うちの店だけを見て米穀産業はみんなこうだと書いている訳では無いことだけ付け加えておく。