種の起源

シルクロードの会の6月公演に参加。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase.htm
佐藤洋一郎先生による古代稲作の講義である。 結論として『縄文時代に水田は無かったが、稲作は行われていた。』という論旨だった。 米屋の米屋による米屋のための話ではないが、色々と興味深い話があったので記述しておく。

  • 東南アジアにおける焼畑稲作農法の収穫効率は250kg/ha、現在の日本の平均は512kg/ha。 しかし稲伝来の4000年前から120年程前まで、日本における収穫効率は180kg/haであり、しかも4000年近く全く向上が見られなかった。 過去120年間における生産性の向上は品種改良と化学肥料の使用が主な理由である。
  • 東南アジアにおける家庭的農業では、複数の異なる野菜や稲を分別せず混合して栽培する。 理由は、混合することにより病気や虫の被害を劇的に下げる効果がある為。
  • 縄文時代には稲作がほぼ間違いなく行われていたが、焼畑農法であったであろう。
  • 弥生時代においても縄文時代における稲作の伝統が少なからず残っていた。 稲も温帯種だけでなく熱帯種も多く栽培されていた。 また、生産性確保の為に大規模な休耕地を伴う稲作が行われていた。
  • 古代には赤米を栽培していたというのが通例だが、科学的根拠がある訳では無い。