うまいもの

人から『あのレストランはうまい』と薦められる所はよくあるが、往々にして失意の中帰路に就く場合が多い。 パターンはこんなものか。

  • そもそもうまくない。 普通
  • うまいが、極端に高い。 つまりコスト対効果は低い。
  • 見た目だけ。 趣向は変わっているが、うまいかどうかと言われるとそれほどではない。

特に3っつ目が特に多い。 過去一年間、人に薦められて行ったレストランの90%がこの分類に入ると思う。 ようは切り口だけなのだ。 ある程度は学習したので分かってはいるが、内装があまりに凝っていると大抵第3の部類だ。 照明が暗い所もたいていうまくない。 シェフがやたら目に付く、席が狭すぎて居心地が悪い、隣のグループとの距離が近い、色々あるが、見た目だけでうまくない時は料理をの匂いを嗅ぐまでもなく分かる。 そのレストランのグループ名まで入っただけで分かる場合もある。 当然そういう店は雰囲気だけだ。
もうおじさんなのだ。 別に雰囲気を良くしてもらう必要は無い。 うまければいいのだ。 ただ、ちょっと手を伸ばせば届く値段で、何度も何度も足を運んでしまううまい店というのはなかなか無い。 いや、あるにはあるが、『発見』することが少なくなった。 あまりに高くても意味が無い。 100g2000円する肉は、それはうまくて当たり前である。 パパイヤサラダが1400円もすれば、それもうまくてあたりまえである。 『うーん、今月ちょっと厳しいけど、でもやっぱり食べたいよね』なんてカミさんと話したくなるような店との出会いは少ない。 不況になって、特に外食産業は雰囲気重視で、半年で同じ資本で全然違う店に改装し続けるような、そんな単価の上げ方の店が多いような気がして残念である。
米屋には二種類の米しかない。 『普通の米』と『業務用の米』だ。 業務用の米は、レストラン全部がその業務用の米を注文している訳ではない。 『とにかく安い米を』というレストランには、中途半端に余った米の寄せ集めや、政府米と呼ばれる備蓄用の古米が入った業務用の米を納める。 そう、そして格好だけの店に限って頼む米は安い。 他の食材に対しては違って、米だけ安いものを多野でいるとは思えない。 それこそ、別に私の意見を信用しなくても、八百屋の友達に探りを入れなくても、食べれば分かる。 こう、新しいレストランに入り、どきどきしながら待って、期待を裏切る程うまいものを食べたときの感動、そんなものにはしばらくご無沙汰だ。 新しい店を探す気も段々なくなってくる。 誠に残念なことである。