待ちに待った

今日はクリスマスイブ。 私は、さほどでは無いが、言うなれば神道信者だ。 しかしクリスマスイブは子供の頃から楽しみだったし、今も楽しみだ。 今日も来たくも無い会社に出社しているのも、今晩を後顧の憂い無く楽しむ為の避けて通れぬ必要悪と思って頑張っている。 (いや、冗談が過ぎるか。 会社のみなさんごめんなさい。) 『私は仏教徒だからクリスマスなどどうでも良い。 自分には関係無い他宗教のお祭りにうつつを抜かしているなんて、なんてお気楽な性格なんだ。』と言う皮肉屋がまだいるかどうか疑問だが、いるなら私はそれに耳を貸さない。 そんなものは嫉妬だ。 というかどうでも良い。 祝いたくなければ祝わなければ良い。 私はしっかり楽しませてもらうし、正月もそれなりに祝わせてもらう。 それを無節操というなら、あなたは私を知らない人なのであろう。 私が無節操な人間なのは、別に宗教に限ったことではない。
子供の頃、クリスマスは12月学校にちゃんと通う最大の理由だった。 私の子供の頃の価値観などそんなものだ。 普段何を言っても耳を貸してくれないのに、自分が欲しいものをたくさん買ってくれるのだ。 サンタでもモハメドでも信じたくなるであろう。 もうぼんやりとしか思い出せないが、朝起きたときのねぼけた頭で『起きたくないなぁ…』なんて思っている瞬間、クリスマスの朝だと思い出しがばっと起き上がるあの喜びと驚き。 そしてプレゼントを全部開け尽くさないうちに登校時間となり、泣く泣く登校する悲しさ、そして帰るまで楽しみにしているあの心躍る感覚。 子供とは、つまらない職業だ。 自分には殆ど何も決定権も与えられず、理不尽な命令に振り回される。 しかし、クリスマスは別だ。 そんな子供の不条理な世界を一瞬にして変えてしまう、そういうものだと思う。 子供は大人が思っている程従順でもなければ馬鹿でもない。 クリスマス前には妙に純粋ぶったりしたものだ。 我々も子供だったのに、その事を忘れてしまっているように思うが、子供はいつまでたっても子供だと思う。
私はアプローチしている女の子がいるでもなく、家庭がある訳でもない。 一緒にいる女性がいて、それなりに幸せにやっている。 これをジーザスに感謝するつもりはないが(感謝祭と混同してるか?)、せっかくの祭りだ、今晩は早く帰ってのんびり過ごそうと思う。 Happy ChristmasではなくMerry Christmasとは良く言ったものだ。 そうだ、楽しくやればいいではないか。 クリスマスはそういうものだと思う。
大人は大人で良い。 良い子にしていなくてもプレゼントは貰えるのだから。