学生闘争の末路

私は自他共に認めるヒッピー嫌いだ。 ヒッピーとは多少違うが、私は私の父親の世代、つまり学生闘争等の茶番を恥ずかしげも無く演じていた『団塊の世代』という人種が嫌いだ。 別に自分の親の世代だから敵対心を燃やしているのではない。 彼らが、卑下するにふさわしい浅ましい人間達だからだ。
今日何かの番組で、安保闘争時代の映像が流れているのを見かけた。 残念ながらこの手の『交通事故』はよくあることだが、学生闘争を目にする度に私は軽蔑の気持ちで震えが起こる。 そして思う。 『当時正義を高々と謳い、理想を掲げていたこれらの群集が、今や自らの年金の為に自分の親を売り自分の子供に自分達の後始末を押し付けるのか』と。 学生闘争に参加した全ての人にこれだけは言っておくが、『我々には理想があり、我々は活気に満ちていた。 今の子供達は覇気に欠け、平穏な時代に育っている。 我々のあの闘争を、子供達は羨ましく思っているだろう』などと考える程能天気だからこそ、あなた方は全く何も成功せず惨めに打ち負かされたのだ。
彼らの行為が何も生まなかった訳では無い。 だが、それは副作用であり、彼らは自ら望んだものを勝ち得なかったのだ。 彼らはこの国を豊かにしたのは自分達だと勘違いしている。 いや、別にいい。 仮に彼らがこの国を自らの力のみで大きくしたとしよう。 そうしたとしても、バブルでその大部分は瓦解したのだ。 今後の年金問題は別に彼らだけの問題ではないが、今問題になっているのはこれら団塊の世代を、いかにして食わしていくかということだ。
彼らは夢を持ち、敗れ、そして自分の成果でもない経済成長に私腹を肥やし、そして全てを失い我々に養ってくれと言う。 私は保険料も払うし年金も払う。 彼らを食わせてやろう。 ただ、それは彼らへの感謝の気持ちだとか、敬意の表れなどとは決して思わないで欲しい。 養ってはやるが、もう少しプライドと責任を持って行動して頂きたい。 この年金改革は何だ。 一度くらい、自分達の力で何とかしてみてはどうか。 少なくとも、何とかしようという意思くらい見せるのは、迷惑をかける後世の人間への最低限の礼儀とは思う。