インターナショナルスクールと国際教育

"FNN スーパーニュース"で『目指せマルチリンガル 大人気!インターナショナルスクール』という特集を見る。 うーん。
一般論だが、ようは子供にバイオリンやバレエを習わせたいという親の精神不安定さの表れの一つだと思う。 親とは自分ができないこと、できなかったことを子供に強要する習性がある。 それは子供の為とは言っているしある意味本心だろうが、本質的には自分に満足ができない不安定さ、そしてその不安定さを自らが出来ない事が出来る子供を育てることで紛らわそうとするのだろう。 こういう事を言うと親は必ず『私は子供の将来を本気で思っている。 あなたには子供がいないから分からないのだ』的な事を言われるが、はいそうですかと言うつもりはない。 少なくとも、ではなぜ自分も出来ないことが子供に良いと言い切れるのか、そのあたりをお聞かせ願いたい。 あなただって英語が喋れなければ、バレエだって踊れないではないか。
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そして更に、親のエゴは子供にもしっかり伝わっているように思う。 上記のようは事は一例に過ぎないかも知れないが、由々しき一例だと思う。 子供は親を見て育つだけでなく、親のエゴも引き継ぐのかも知れない。
さて、さらなる問題なのは『国際教育→英語での教育』という短絡的かつ誤った親の思考理論である。 いや、正直私も分からない。 そもそも国際教育とは何なのだろう? 少なくとも、英語が喋れるという意味ではないのではないだろうか? 私も別にインドやノルウェーの小学校に通ったことがあるわけではないので分かりかねるが、それでも日本の教育の『ここは国際的とは言えないだろう』的箇所はいくつかある。 少なくとも、子供を教える教員にもう少し教養が無いものかとはつくづく思う。 別にホイジンガを熟読して子供に分かり易く説き伏せろとか、子供がソローの経済的観点について議論できるようにしろとか言っているのではない。 少なくとも、子供の質問に対して子供を考えさせるような回答ができたり、偏見や差別に対して確固たる姿勢をもって子供の手本となる対応ができないものか。 いや、それも高望みかも知れないが、ただ阿呆では困るのである。
まず、国際的であるとは大前提として差別や偏見が無いことだと思うがどうだろうか。 留学するとすぐに気がつくことだが、英語である程度のコミュニケーションを取るなど一年くらい英語圏の国で過ごせば誰でも出来ることなのである。 英語で教わったところで、差別的な教育であれば子供は差別的に育つ。 そもそも自分が解せない言語での授業の質を、親御さんは何の判断基準を持って日本のそれと比較しているのかが正直不安に思う。 そんなに英語が重要だと思うなら、まずは自分が英語を勉強してみてはどうか? 『英語は子供のうちなら身に付くが、大人になると難しい』ともっともらしい事を仰るが、そもそも自分が努力をしていないのに何故分かるのか? 私は長期にわたって必死に英語の勉強をしたが、子供の頃に適切なトレーニングを受けなければネイティブと全く同レベルのスピーキング能力を身につけることはまず難しいと実感した。 一部の例外を除いて、これは確かだと思う。 妹も渡米5年(だっけ?)で旦那はアメリカ人だが、スピーキングはお世辞にもネイティブと同じレベルとは言えない。 しかし彼女は言語的には何の問題もなく健全な人間関係を築いているし、職場でも評価されている。 そして、ヒアリングに関しては全く同等の能力は取得できるし、喋るほうでもコミュニケーションに全く支障のないレベルには上達する。 それ以上を、誰も望んでいないように私は感じる。 ネイティブと全く同等、というレベルに根拠無くこだわりすぎているのではないか。 ある程度まで喋れるようになれば、あとは何を喋るかなのである。 これは何語でも変わらない。 あなたも、まだ片言の中国人留学生を、日本が流暢ではないという理由だけで見下したり、彼らの意見を聞こうとしなかったり、子供のように扱ったりはまさかなされないだろう。 それはどこの国であってもおそらく変わらない。 あなたの英語やスペイン語が完璧ではなくても、皆あなたの意見はしっかりと聞いてくれる。 もしあなたが日本語が不得手という理由だけで相手を危険視したり犯罪者扱いなさる方なら、それはもう国際教育以前の問題である。 そして、あなたは国際的という意味をおそらく全く理解していない。
体調を崩しているので多少機嫌が悪いのかもしれないが、それにしても今日のテレビを見て大きな不安を感じざるを得なかった。 橋本さんのブログに書いているように、親の妙なエゴが子供に伝染するような事態だけは、親として注意しなければならないのではないかと思う。(この例に関して言うと、先生の諭しの発言も思慮に欠けるものだとは思うが。 それで子供が納得する訳はなかろう。) それこそ子供の将来をネガティブにねじ曲げる、虐待だと思う。