テロと民主主義

澤田さんのページより:

また日本人の被害者が出た。それでも自衛隊派遣の方針は変更しないという。アメリカ支持の立場を崩さない日本に対して、アルカイダがテロのターゲットにしている。以下、記事から一部引用。

国際テロ組織アルカイダの幹部を名乗る人物が21日、アラビア語の雑誌「アルマジャラ」(ロンドン発行)に声明を寄せ、「日本の兵士がイラクに足を踏み入れた瞬間、アルカイダは東京の中心を攻撃する」と警告した。

東京にお住まいの方、ご注意ください。(って、注意のしようがないんだけど)

もしそれが現実になったとき、この前の選挙で自民党公明党に投票した人は被害者と遺族に対して責任取れよ。

選挙に投票する(または投票しない)ってことは、それだけ責任がある。国政選挙は日本の未来を決める行為だから、有権者のたった一票は軽いようで非常に重いのだ。当選した政党や政治家の行動は、すべてその政党や政治家に投票した人(または投票しなかった人)の責任だ。

昨日澤田さんの日記を色々見ていて、政治に対しては私と澤田さんとでは認識が大分違うようだ。 それ自体は決して悪いことではないと思っている。 おそらく私の見解のほうが少数派なんだとも思う。 私の彼女の意見も、私よりはだいぶ澤田さん寄りだと思うし、自衛隊問題に関してはよく議論になる。(喧嘩ではない。) 技術者間で政治問題が議論されるのは非常に良いことだと思う。 世の中には技術者と言えばとかく「技術にしか興味が無い人々」のような扱いを受けることがあるが、我々も一社会人であり、一国民である。 政治に関しては様々な見解が出た方が良いとも思うので私の見解も:
テロリストが脅迫するのは、決まって民主主義国家である。 民主主義国家の方が、脅迫のによってより効果が生まれるからだ。 アメリカの基本外交方針に「脅迫には応じない」というのがある。 まぁ強者ゆえの強気な外交政策と言えばそうかも知れないが、私はその主張は非常に有意義であると思っている。 テロとは、人間の潜在的な恐怖感を煽り、武力によりその意思を屈し、自らの思想や目的を達そうしようとする卑劣な行為だと思う。 民主主義国家において、テロリストに対してであれ他国家であれ、この手の脅迫に屈しないという姿勢は有意義であると私は思っている。 この手の脅迫は民主主義に対する冒涜、といえば何だか宗教的な言い方で好きではないが、ようはそういうことだ。
アルカイダは、別に日本の自衛隊が来ることに恐怖している訳ではない。 これは、単なるアメリカに対する嫌がらせである。 彼らは、アメリカの足が少しでも重くなると思うことは何でもするのであろう。 今回の警告に対しては、アメリカの言いなりに日本がなるかどうか、という問題ではない。 これはテロリストの脅迫に屈するかどうかという問題だ。 アメリカの言いなりになるのには反対、というのは最もな意見だ。 また、自衛隊を海外に派遣すべきではないというのも正当な意見だ。 ただ、「アルカイダが警告しているし、自衛隊を出すべきではない」という意見は同じ次元の意見ではない。
私は基本的に、基本原則などにはあまり固執しないし、理念が結果の前に口を閉ざすことも良くあると思っている。 ようは「結果が良ければいいじゃん」タイプの人間である。 ただ、政治外交においては相手にしているのが他人にある分、通さなければいけなり理念は多いとも思っている。 たぶんケネス・ウォルツだったと思うが、

民主主義政治に必要不可欠なものは、野党と軍隊の二つだ。

と言った人がいる。 一つ目に関しては少々疑問だが、二つ目はそうであるような気が私もする。 少なくとも、この意見をただの「好戦的思想」と一蹴するだけでなく、もう少し考える必要があるのではないかと思う。
最後になったが、民主主義国家である以上、テロの犠牲者にも、自民・公明に投票した人にも、同等の責任が存在するのは確かだ。 民主主義国家において国政が上手くいかない場合は、与党第一党とその支持者だけの責任ではない。 有権者が国政に対して批判を行うことには全く何の問題も無い(と言うよりあって当然だ)が、だからといってその有権者が国政による失敗から責任を免れる事ができるわけではない。 民主主義である限り、これは日本国民全員の責任である。