デザイナーが言いたくて口に出せない事

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ほー、久しぶりにウェブを見てて感性を刺激された気がした。 こう、デザインとは何かを考えさせられるということが、自然とウェブでは少ない。 そうなのだ、デザイナーにとってウェブとはかなり、感性を刺激されない、ありきたりの世界だ。
ちょっと妙なことを思い出してしまった。『Flashを使うとデザイン性が高くなるから』(デザイン性? 一体この言葉は何を指しているのか?)と理由でFlashをトップページに持って来たいとクライアントに説得されたことがある。 今から3年程前、私がまだフリーでディレクターをしていた時期だ。 そんなに経験を積んでいなかった私は、それはもう頭にきたが必死で押さえようとしていたのを覚えている。
 Flashを使うと何がプラスになるのか? 答えはこの3っつだ。

  • 動く
  • 高価に見える
  • 納期が延びる

これ以上のものを、Flash自体は何も生まない。 Flashを使って何かしらの効果を生むのは、デザイナーのスキルなのだ。 正論を言わしてもらうと、例えそれが産業デザインであれウェブデザインであれ、媒体や使うツールはデザインを決定付けない。 上に示したクライアントの言葉に対して、3っつの理由から私は頭にきた。

  • デザイン性などという言葉は存在しない 正直この手の意味を持たない造語を使ってFlashを使わせようとする素人にはうんざりしていた
  • Flashを使うという行為だけでは、何も生まない 何かを生むのは我々だ
  • デザインを行う媒体を、専門家に使用するよう指示している

これは大げさな比喩ではなく、デザイナーに媒体を指定したり色を指定したりするのは、弁護士にこの論述で攻めろとアドバイスしたり、大工にここではかんなを使うなと命令したり、医者にわたしはこういう症状だからこの薬をくれと言っているようなものだ。 この手の発言は、デザイナーに対して非常に失礼な話だ。
また話が逸れるが、ヤコブ・ニールセンという男がいる。 デザイナーならば一度はその名前を罵った事のある男だ。 ユーザビリティデザインという言葉が流行ったときに、この男がFlashを槍玉に挙げて、『Flashを使うサイトの多くが、ユーザビリティを無視している』と非難をしたのだ。 彼の言うことはある意味間違っていない。 ただ、彼のこの無神経かつ無礼な発言は、デザイナーの猛烈な反感(ヒルマン・カーティスだけではない。 彼はデザイナーの言わば代表だ。)を買った。 当のニールセンはおそらくその真意を理解しておらず、Flashという自らの表現力の場を奪われまいとデザイナーが過剰反応しているというくらいにしか思っていないだろうが:

  • 非難の論点がそもそもおかしい。『黒いコートを着る男は、女好きだから注意しろ』と言っているようなものだ。
  • ユーザビリティ・デザイン』とは、何も新しい発想ではない。 ずっとあるデザインの1要素に、誰かが名前をつけただけで、そのもの自体の重要度が上がるわけではない。 ユーザビリティとはデザインにおいてずっと昔から優先度の高い項目だ
  • 近視眼の男に何であれ『デザイン』と名の付くものを非難する資格は無い。 これはデザイナーに対する挑戦だ。 無礼極まる。

というのが理由だ。 1つ目は、くどいようだが、Flash自体は手段であり、この際は媒体だ。 しかも扱いが難しい媒体だ。 媒体の難しさを克服出来ずに結果を残せないデザイナーは多い。 私もそうだ。 ただ、だからといってその事実を指摘することに何の意味があるのか? また、かのような方法でFlashを使用する上での弱点を指摘するだけならまだしも、だからFlashはどうだという発言は無意味だ。 2つ目は、これはデザインの本質とその複雑さを覆い隠し、あたかもそれが法則のみに則った単純かつ明快なものであるかのような錯覚を起こさせる、実は危険な発想だ。 ユーザビリティ関連の書物は私もいくつか読んだ。 そして、その中には留意すべき点も多い。 ユーザビリティ理論(という程のものではないが)の欠点を指摘するのはまたの機会にしておくが、いずれにせよ近視眼的であり、これは非難を恐れずに言うが、稚拙だ。 3っ目は、私のかつてデザイナーとして活動したときに培われた、デザイナーという職業に対する誇りと、それを汚そうとする者に対するあてつけだ。 それ以上ではない。
ここまで私はあえて私の言いたいことの中の一番大事なものに言及してこなかった。 それは『デザインとは何か?』ということだ、そしてデザイナーが仕事上遭遇する問題のおそらく9割くらいは、クライアントその他の人間のデザイン自体に対する不理解だ。 デザインの定義について話し出すと終わらないので避けるが、簡単に言うとこうだ

作り手と使い手、もしくはビジネスとその顧客の間において、『以心伝心』のコミュニケーションを実現すること

例えば、テレビのリモコンにあるボタンは、『こう使いたい』という使い手の願望を説明無しに理解させることできればある意味良いデザインとも言える。 ただ、直感的に使いやすくすることだけが、相手にリモコンの使用法を伝える唯一の方法ではない。 そしてデザインとは、人間が皆もつ、ユニバーサルな感受性に対して『間接的に』そのゴールを達成しようとするケースのほうが多い。 少々乱暴だが、紙であれ産業デザインであれウェブデザインであれ、デザインとはそういう仕事だ。 では、ウェブにおけるデザインとは何か? 『ユーザーが容易に自分の探している情報を見つけ、サイトを自在に移動することができる』これは、良いデザインのほんの一部の要素でしかない。 また、良いデザインにはこの特性があるだろうが、この特性があるからといってよいデザインとは言えない、というたぐいのものだ。 デザインとは、そんな画一的な方法論で論じるものではない、しかもそれをどこかの技術屋上がりが『デザインはああだこうだ』と知ったような口を利くから、頭に来るのだ。 江川が、バイエルンミュンヘンのフォーメーションに対して忠告するようなものだ。 バイエルンミュンヘンの監督は、それはさぞ頭にくるだろう。
エンジニアが悪いと言っているのではない。(私もエンジニアだ。) それに、エンジニアに限ったことではない。 私が言いたいのは、デザインとは専門職であること、デザイナーは誇りを持ってその仕事をしていること。 そして、その仕事の価値が分からないという理由から、皆がにわかデザイナーとなりデザイナーの専門職の領域を侵すことだ。 プログラマーは、顧客に『XPでやれ』とは言われない。 ただ、デザイナーならあり得るのだ。 デザイナーは常日頃から『このあたりはファサードにして造って欲しい』だとか『この情報はセッションで持ちまわって欲しいな』という風なことを言われながら、『そんなの全体像を見極めていないのに細部の一部だけを決め打ちしても意味が無いじゃんっ』と思いながら仕事をしているのだ。 我々が、『この色合いは』とか『このフォントは』とか『大きさが』という事は、デザイナーにとってはそういうことなのだ。
上で紹介したサイトは、素晴らしいデザインだからという理由で紹介しているのではない。 ただデザインとは何かと考えさせてくれる、そういう作品だ。 この作品が思ったよりだいぶ深いということが分かってもらえるかも知れない。 分からないのであれば、もう色がどうだとか、フォントがどうだとか、そういうことをデザイナーに言うのは止めて頂きたい。 ちなみに言っておくが、『誰にでも分かりやすいのが良いデザインだ』などという発言は『レアル・マドリードは攻撃陣は豪華だが守備陣は見劣りする』と監督に言っているようなものだ。 そんな事は分かっている、ただそんな単純なことではないのだ。