何だろ、仕様書?

澤田さんのところ(http://d.hatena.ne.jp/satoshis/20031212)より

why が書き残す必要がある情報なのかどうかどうやって判断しますか?スキルのある人にとって why は必然です(というか、why とすら思わない)。だから、書き残す必要性はないのです。

でも、スキルが無い人はなぜそうなのか分からない。

そのギャップを埋めるため、スキルがある人は懇切丁寧に、その人にとっては必然である why を、何倍もの労力と時間をかけて書き連ねる必要があるとでも言うのですか?

書いたところでバカはそんなところは読んでくれません。書いてなくても、できる人は聞いてくるし、自分で調べる。ワタシの経験はそれを(部分的に)証明しています。

私は結構細かく書こうとしてしまう方だけど、うん何となくこっちの方が正しいように思う。 こう、自分が作るときにわざわざ毎回聞きに行くのが面倒くさいと思うことがあったから、自分はそうしないようにと変に気を使ってるのかも知れない。 ただスキル云々ではなく、詳細仕様の精度についてはやはり考えてしまう。 あんまり書きすぎると、逆に混乱するし、大雑把すぎると、作る人が代わったりするときに再度ヒアリング受けたりするし。 なんとなく中間を探ってしまう。

一方澤田さんのところで以前イデアは抽象クラスやメタクラスのようなものというのがあったが、それも結構面白いよね。 イデアとは、真理のこと。 そしてその真理とは完全な抽象が不可であるというのがプラトンの思想。 例えば、完全な三角形を図で書く事はできない。 完全な三角形なら、線の太さも0でないといけない。 我々は事象の本当の姿を概要では捉えているが、完全な形では捕らえていない。 我々の抱いている真理とは、真理に近いものではあっても真理ではない、ということ。 確かに、この発想はオブジェクト指向に近いと思う。 特に詳細設計をしているとそう思う。 基本設計は、次の現場で初めてすることになるのでよく知らないが、デカルトっぽいんだろうか。 『これは、ほんとですか? これでいいんですね?』と何でも疑ってかかる、というかそんな感じ。